慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。
湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。

昭和30年頃の隨泉寺

寺号が開基と同時に高峯山隨泉寺に改名されたと伝えられており、恵閑師が真言宗から浄土真宗に改宗したとされています。第2世栄念師の時に、高峯山の麓にお寺を移転し、茅葺きの本堂が建立されましたが、門信徒の懇念により境内を整備され、お念仏のみ教えを広められたのが、高峯山隨泉寺の縁起です。

鐘楼

明治42年、故高松悟峰和上が隨泉寺代務住職の時に本堂の再建を発願され、明治45年3月に落慶法要が勤修されました。この間、年月を経過し、歴代の住職・坊守・門信徒により護持され、庫裡の改築、経蔵の建立がなされ、梵鐘も再鋳されました。

高松和上誕生碑・親鸞聖人像

隨泉寺 山門

また、門信徒会組織のなかでは、門信徒会壮年部・婦人部が結成されました。お寺は地区文化の中心であるとともに、門信徒他有縁の方々の心の道場でもあり、文化遺産として支えられ維持されるべきものです。

平成12年には、平成の大修復を行い、1110名のご懇志が寄せられ修復を完了。現在に至っています。その際、お寺の屋根裏から明治45年の建立に関係した方々の名前が記載された木札が見つかり、感慨に浸りました。

倶会一処廟

平成28年には、ご家族やご縁者のご事情により、お墓を代々維持していくことが困難になられた方や、ご子孫に過度な負担をかけたくないとお考えの方に、合同墓「倶会一処廟」を建碑しました。

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最初に記述したように真言宗から浄土真宗への転宗でありますが、浄土真宗が身分に特定されない幅広い大衆に宗教受容されたことと、又畑賀の八葉山名峰院蓮華寺が福島政則に焼かれて廃寺となった事を目の当たりにして、当時の上中野の人々が心を動かしたのではないかと記録にはありますが、明確なところは不明です。

隨泉寺歴代住職

隨泉寺歴代住職

開  基 恵 閑 (元和2年 1月 7日 往生)
第 二 世 栄 念  
第 三 世 栄 存  
第 四 世 栄 順  
第 五 世 教 順  
第 六 世 教 悦 (享保5年 往生)
第 七 世 智 応 (明和6年 12月 24日 往生)
第 八 世 観 光 (文化2年 7月 14日 往生)
第 九 世 堅 願  
第 十 世 秀 浄 第九世の実弟 (弘化6年 7月 1日 往生)
第十一世 秀 法 高松和上の実父 (明治16年 6月 30日 往生)
第十二世 授 宝 高松和上の実兄 (明治38年 1月 18日 49才 往生)
第十三世 輝 雄 第十二世の長男 (大正4年 5月 20日 24才 往生)
第十四世 静 間 第十三世の実弟 (昭和18年 5月 15日 50才 往生)
第十五世 不 動 福山市 光行寺より入寺(平成20年 5月 1日 78才 往生)
第十六世 哲 成 現住職 (昭和55年 11月 1日入寺)
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